東京マラソン2018回想記

概要

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これはかけっこで常に最下位を取っていたアラサーが、無謀にも東京マラソン2018に参加した時の記録である。

2/11 (二週間前)

15km走りシンスプリント(脛が痛い)を発症する。ただ、足の激痛と引き換えに「トランクスで走ると太ももとパンツが擦れるので痛い」という、とても重要な気づきを得たので無駄ではなかった。

2/24(前日)

参加エントリーをするために東京ビッグサイトへ向かう。

エントリー窓口はコミケにも負けない長蛇の列が形成されていた。これほど長い列を見たのは夏コミの東方星蓮船を買いに行った時か、あるいは叶姉妹の時位か。でも当たり前だが、並んでいるのは、年齢層に幅こそあれ、オタクでは無くスポーツマン。やっぱり来たのは間違いだったかと一抹の不安を覚えつつ、痛む足を気にしながら並ぶ。

会場に入って腕にプラスチック(?)のような認証用の腕輪を巻かれる。少し厚いビニールのようなものなのに、これが外れた場合出走停止になると聞いたので大層ビビったものだった。実際は、レース後ジムで外そうしたら素手ではなかなか外れないし破けない。心配する必要は無かった。

その後、ゼッケンや記念Tシャツを貰い企業ブースへ。ランナー特典を提供している所が多数あり、これだけで参加費の元が取れるのではと思うほどお得感あふれていた。ただ、同じ製薬企業でもH光はサンプルをくれたのにO塚はくれなかった。こういう所でも企業の姿勢が見える。ただH光は「7割歩いていても6時間行くことは稀」とか言っていて、信じて歩いたら関門ギリギリだった。企業の姿勢が見える。

ランニンググッズも充実していた。ここに来るときは帰りに明日の準備をしなくてはとも思っていたが、実際はここで不足している全てが揃った。買ったものは、お土産と汗対策のリストバンド(TOKYO2018仕様)、ウェストポーチ、栄養剤のBCAAセット、靴下、ふくらはぎ用のサポーター。一番役に立ったアイテムはふくらはぎ用のサポーターで、これはCW-X製と間違えて買ったRxL製のものだったが(blogを書いている今気づいた)、脛をいい感じにサポートしてくれてとても役に立った。

あとは有名な選手らしい人が喋っていたり、ランニングクリニックとか開催していたりしていたけど、良く知らなかったり恥ずかしかったりしたのでスルー。

2/25(当日)5:30

ちゃんと目覚まし通りに起きれる。第0関門突破。

脛に湿布を張りその上からシンスプリント向けのテーピングを行う。テーピングは普段やらないので大層不格好なものになり、これで本当にサポートできるのか大層不安だったが、本番のレース時には大層役にたった。

7:05 新宿都庁

今年からコースが変わり新宿スタートになったらしい。腕輪の認証や荷物の金属探知を済ませ玄関口で待機。セキュリティは厳重に見えたが、チェックを済ませた荷物に貼る「Security checked」シールが道路にボロボロ落ちていて、本当にセキュリティしているのか不安になった。

ここでゼッケン先頭の意味を知る。どうやらゼッケンはAが準エリート(超はやい)、以下申告タイム順にB、C、D……と続き、スタート順はアルファベット順になるらしい。私のゼッケンを見るとL。どうやら最後尾らしい。周りを見ると、お年を召している方や全身コスプレマンでもE組とかF組とかだったりし、L組の私はなんだか恥ずかしくなり、ウィンドブレーカーでゼッケンを隠し、ギリギリまで着ることになった。

8:45 並ぶ

他のみんなは道路に並ぶのだが、Lの人たちは近くの公園に誘導された。公園にはLの仲間たちが沢山おり、スタート直前にも関らずトイレしていたり呑気なものだった。

9:05 スタート ~ 5km

スタート。スタート時刻と同時に発砲音が聞こえ少しビビった。テロかと思った。

スタートの合図がしてもL組はスタートできない。15分位待機を命じられてようやく少しずつ動き始める。スタートゲートをくぐるまで大体19分位かかった。

スタート1kmはゴミだらけでマラソンというより障害物競争。東京ゴミマラソン。ゴミは放置するなと案内にあったのになんだこのマナーの悪さ。道路中央にポンチョが投げ捨てられ一歩間違えるとコケる。というか確かコケてた人いた。タイツ履いていたけど大丈夫だったか。

スタートから暫くは人口密度が高く、ランナーとの接触に神経を使った。この密度は15kmぐらいまで続く。恐らく東京マラソンは記録を目指すのには向いていないだろう。しかしその中をビュンビュン追い抜くA組のネコミミランナーは何者だったのか。

5km ~ 10km

トイレに寄るけれども凄い人が並んでいた。15分位待つと言われ、関門が危うそうなので泣く泣くトイレを我慢した。

この時、少し歩いたのだが予想以上に足に力が入らず驚いた。走っている方が楽なのだが、これは体重をかけた反動で足を出しているからであり、股関節(大腿骨骨頭)に負担をかけるので優しくない。大腿骨骨頭は大切にしないと手術になったり歩行に後遺症を残すのである。

10km ~ 15km

人が空いてきたのでトイレ休憩を行う。並んでいる間に関門時刻をチェックするが、意外とギリギリなことに気づく。恐らく全レース通して20分以上関門に差をつけていない。

反対車線は28km地点でトップランナーとすれ違う。トップランナーはなんか軽やかに走っていて、28kmは私もいけそうな気になるが、実際私が28km地点についたときは死にそうであった。

足が痛くて1km1kmが遠い。普段走るとき1kmはそれほどでもない距離なのだが凄く遠かった。1km毎に標識があり、標識の後大分走って、標識を見落としたのかな?2、3km位は走ったのかな?って思うのだがやっぱり1kmしか進んでいない。無常。

15km ~ 20km

ここら辺から歩く人が目立つ。

遂に脛が痛くなくなるが、代わりに腰が痛くなり始める。

そういえば下駄で走っている人がいたけど彼は完走できたのだろうか。

20km ~ 25km

私も歩き始める。ただチアガールの応援に反応して走る位には若干体力は残っていた。

時折自分の姿を見るがあまりにも不格好な走るオタクで恰好がつかない。この時ダイエットを決意した。

そしてお腹が減る。給食が配られるらしいが、食べられるものはみかんしか残っていなかった。でも、みかん凄いおいしかった。酸っぱさが体に染みわたった。ただ道路に皮を投げ捨てるのはいかがなものか。

25km ~ 30km

このあたりは関門が厳しく、関門ギリだとキロ7分で走らないと駄目なゾーン。もう走れないので必死に歩いていた。腰が本当に痛い。

時折「ナイスラン!」と声援を受けるが、実際は私は歩いている。歩いているのに「ナイスラン」と言われるはずはないので、それは私に向けた声援でないことは明白であったが、凄く罪悪感を感じた。応援してくれる人にハイタッチもできなかった。次がもしあるならば、せめて完「走」したい。そう決意した。

30km ~ 35㎞

関門内の制限時間は25km ~ 30kmが35分と一番短いが、30km ~ 35kmも40分と(歩きにとっては)油断ならない時間。近くにいた人は「せめて30kmは行きたいね~」と口にしていたが、30km超えても気は抜けない。「ナイスラン」の声援に耐えながらひたすら歩く。

35km ~ 40km

この関門内の制限時間は70分。つまり35kmで実質ゴール。あとはゴールまで歩くだけなのだが、歩くだけでも辛い。腰の横が痛い。でも痛いが、ここまで来たので完走したい。そう思いながら歩いた。

40km ~ 42.195km

残り1kmは走るかとも思っていた、が、足が動かない。ただ、ゴール直前は曲がり角になっており、最後200m位を走れば、観客から見たら完「走」してきたように見える仕掛けとなっていた。ありがたい。

記録はネットで6時間半、スプリットで6時間45分とギリギリ(制限時間はスプリットで7時間)。確かH光の説明では7割歩いても6時間いくことは稀との話であったが、ふたを開けてみるとギリギリ。企業の姿勢が見える。

何はともあれ完走は完走。もう足を動かさなくてよい。めでたしめでたし。

家に帰るまでが東京マラソンです

社会人なのでゴールしたら家に帰らないといけない。

足は生まれたてのバンビになっているにも関わらず、荷物を受けとるまでに1km位歩かされる。気が抜けているし、歩くたびに腰に激痛が走るのにも関わらず「立ち止まらないで下さい」の標識。完走記念メダルやバスタオルを受け取るが、感動よりも座りたい。

荷物を受け取ったら電車に乗って家に帰らないといけない。生まれたてのバンビの足で立ち向かった有楽町駅の下り階段は、東京マラソンで味わった中で一番の絶望を与えてくれた。そこにはチアガールも「ナイスラン!」の応援もない。ただ、絶望と、絶望に負けて階段に座りこむランナー達がいるだけであった。

次がもしあるならばタクシー代を用意しよう。そう決意した。